松山中央店 店長ブログ「はじめましての自己紹介」
2022.07.19
皆さんこんにちは、松山中央店 店長の安田 典生(ヤスダノリオ)です。

2015年4月の松山中央店オープン時より、営業スタッフとして在籍しておりましたが、この度6月1日付にて店長という重責を命ぜられ、過日着任いたしました。
これまでご支援いただいたお客様へ感謝しつつ、これからのご愛顧をお願いする次第です。
お堅い挨拶はこれくらいにして、まずは私の自己紹介をしたいと思います。(Wiki風に)
【プロフィール】
本名:安田 典生
生誕:1965年10月18日 松山市
家族:妻と長男(長男は既に独立)、犬
【略歴】
愛媛県松山市に生まれ、後に大学を卒業するまで実家暮らしを続け、1989年4月に愛媛トヨペット株式会社へ入社する。
1989年 4月 空港通本店勤務。当時の先輩にこき使われる。
1990年12月 同級生と結婚
1996年10月 長男誕生
1998年 1月 新居浜店(現リピット新居浜)勤務。初めて松山を出て異文化を知る。
2008年 4月 空港通本店勤務。お客様数が増えて髪の毛が減る。
2015年 4月 松山中央店勤務。仕事にも体にも脂がのってくる。
【人物】
3人兄弟の末っ子として生まれる。幼少の頃は利発な子だったとお隣のおばちゃんは言っているが、家族からは屁理屈ばかりの憎まれっ子だったと言う。
小学3年生にしてランドセルをボロボロにして使用不能にするほど物の扱いが雑だった。
今は物に感謝して大切に使っていると本人は言う。
大学時代はバイクとバイトに明け暮れ、気が付いた時には人より多く在学していた。
当時はさんざん親のスネをかじって申し訳なかったと最近思うようになった。
現在は妻と犬とで平和に暮らしている。
【部活】
社内ツーリングクラブ所属
以上、典型的な昭和40年男(ピンとこない方はググってね)です。高度成長期に生まれてバブル絶頂期に入社、後にバブル崩壊も経験しましたが、深く考え込まない性格のせいか、わりとお気楽に人生を歩んできたようです。
さて、愛媛トヨペットへの入社動機について触れておきましょう。
もともとクルマが好きで、スーパーカーブーム時にはそれぞれのスペックを丸暗記していたものです。
クルマはV12じゃないとダメだとも思っていました。
80年代後半になると国産車もデートカーやハイソカーが続々と登場。
何しろ「最新型」という言葉に弱い私は「カーディーラーに入社すれば最新のクルマに触れる、乗れる」といった安易に思っていました。
愛媛トヨペットに決めたのは採用担当者の人柄ですね。扱い車種などは全く気にしませんでした。
裏話として、当時他ディーラーでも就活をしていました。
その某他ディーラーの採用担当者の一言「君は〇〇〇車が好きだと言っているが、君自身が40歳50歳になった時、若い人相手に商売をする自信がありますか?」
この言葉にはっとしました。当時の某メーカーとトヨタの考えの違いです。
次々と新しいお客様を増やしていくのか、現存するお客様を大切にして代替を繰り返していただくのか…
後のバブル崩壊で、その答えははっきりしました。しかし今でも〇〇〇車は好きですし、良きライバルだと思っています。
今回は、自己紹介と愛媛トヨペットへの入社動機についてお話しました。
ブログなんぞ初めてでしたが、ちょっとした自伝みたいで楽しかったです。
ではまた、次回お会いしましょう。
1985年大学時代 友人とツーリング中(私は左から2番目です。実はこれ一部のマニアにとっては超貴重なショットです)
当時はクルマよりバイク、バイト代はローンとガソリン代に消えてました。

1989年、愛媛トヨペット新人研修、営業スタッフで記念撮影。(私は右から2番目です。)

初めての名刺 当時は写真ではなく似顔絵でした!!

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2015年4月の松山中央店オープン時より、営業スタッフとして在籍しておりましたが、この度6月1日付にて店長という重責を命ぜられ、過日着任いたしました。
これまでご支援いただいたお客様へ感謝しつつ、これからのご愛顧をお願いする次第です。
お堅い挨拶はこれくらいにして、まずは私の自己紹介をしたいと思います。(Wiki風に)
【プロフィール】
本名:安田 典生
生誕:1965年10月18日 松山市
家族:妻と長男(長男は既に独立)、犬
【略歴】
愛媛県松山市に生まれ、後に大学を卒業するまで実家暮らしを続け、1989年4月に愛媛トヨペット株式会社へ入社する。
1989年 4月 空港通本店勤務。当時の先輩にこき使われる。
1990年12月 同級生と結婚
1996年10月 長男誕生
1998年 1月 新居浜店(現リピット新居浜)勤務。初めて松山を出て異文化を知る。
2008年 4月 空港通本店勤務。お客様数が増えて髪の毛が減る。
2015年 4月 松山中央店勤務。仕事にも体にも脂がのってくる。
【人物】
3人兄弟の末っ子として生まれる。幼少の頃は利発な子だったとお隣のおばちゃんは言っているが、家族からは屁理屈ばかりの憎まれっ子だったと言う。
小学3年生にしてランドセルをボロボロにして使用不能にするほど物の扱いが雑だった。
今は物に感謝して大切に使っていると本人は言う。
大学時代はバイクとバイトに明け暮れ、気が付いた時には人より多く在学していた。
当時はさんざん親のスネをかじって申し訳なかったと最近思うようになった。
現在は妻と犬とで平和に暮らしている。
【部活】
社内ツーリングクラブ所属
以上、典型的な昭和40年男(ピンとこない方はググってね)です。高度成長期に生まれてバブル絶頂期に入社、後にバブル崩壊も経験しましたが、深く考え込まない性格のせいか、わりとお気楽に人生を歩んできたようです。
さて、愛媛トヨペットへの入社動機について触れておきましょう。
もともとクルマが好きで、スーパーカーブーム時にはそれぞれのスペックを丸暗記していたものです。
クルマはV12じゃないとダメだとも思っていました。
80年代後半になると国産車もデートカーやハイソカーが続々と登場。
何しろ「最新型」という言葉に弱い私は「カーディーラーに入社すれば最新のクルマに触れる、乗れる」といった安易に思っていました。
愛媛トヨペットに決めたのは採用担当者の人柄ですね。扱い車種などは全く気にしませんでした。
裏話として、当時他ディーラーでも就活をしていました。
その某他ディーラーの採用担当者の一言「君は〇〇〇車が好きだと言っているが、君自身が40歳50歳になった時、若い人相手に商売をする自信がありますか?」
この言葉にはっとしました。当時の某メーカーとトヨタの考えの違いです。
次々と新しいお客様を増やしていくのか、現存するお客様を大切にして代替を繰り返していただくのか…
後のバブル崩壊で、その答えははっきりしました。しかし今でも〇〇〇車は好きですし、良きライバルだと思っています。
今回は、自己紹介と愛媛トヨペットへの入社動機についてお話しました。
ブログなんぞ初めてでしたが、ちょっとした自伝みたいで楽しかったです。
ではまた、次回お会いしましょう。
1985年大学時代 友人とツーリング中(私は左から2番目です。実はこれ一部のマニアにとっては超貴重なショットです)
当時はクルマよりバイク、バイト代はローンとガソリン代に消えてました。

1989年、愛媛トヨペット新人研修、営業スタッフで記念撮影。(私は右から2番目です。)

初めての名刺 当時は写真ではなく似顔絵でした!!

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